電動車いすに乗って…⑤

支援活動に取り組んでいた。東住吉区の担当は、上山さんだった。

 その上山さんと初めて会い、挨拶した。

  挨拶して~まもなく外から「こんにちは~」と、女性の声がする。

 井岡さんが「河井さんが来た!」と、メンバーに言った。僕は「河井さんって、誰ですか?」と井岡さんに聞いた。僕に「マクラメの先生だよ~今日はマクラメの日よ」と井岡さんは教えてくれた。僕は(マクラメって何だろう?)と初めて聞く言葉だった。

 上山さんは河井さんを迎えに行って~河井さんを、抱えて畳に座らせて後は

河井さんは膝で歩きながら部屋に入って来た。井岡さんは河井さんを見て、

「新しいメンバーで寺内君です」と紹介してくれた。僕も「初めまして~

寺内です、宜しくお願いします」と挨拶した。僕を見て河井さんは「若い!

いくつ?」と笑顔で聞いてくれた。その河井さんの笑顔は(なんだか素敵な笑顔やなあ)と思った。「19歳になったばかりです」と、僕は河井さんにわらいながら答えた。

 いつも“雑草の家”にサポートしてくれたボランティアさんが来てくれて~

“マクラメ”の作業を始めた。僕の側に来てくれて、「マクラメって知っている

?」と河井さんは聞いてくれた。僕は「ぜんぜん知らない」と河井さんに言った。河井さんは「じゃ~教えるね」と優しく言ってくれた。ボランティアさん

が“マクラメ”の入っている箱を持ってきてくれて~河井さんはその箱の蓋を

あげて、“赤、青、黄”の様々な色の紐を取り出して‥「これを、アクセリを編んでいくよ~寺内はアクセリとかは興味がある?」と紐を取りながら聞いた。

「まったくありません」と僕は言った。そういう答えた僕に「やっぱり男性だわ!でも作って好きな人に上げたら喜ぶよ」と言いながら、説明してくれた。

 「一回、私のやり方を見ててね」と言って編み始めた、編みながら河井さんは「どこの学校を卒業したの?」と僕に話しかけた。「僕は堺養護学校です。」

と僕は言うと‥「私も堺養護学校よ~井岡君も同じよ~」とか話しなから

河井さんの編み方を見ていた。

その時は‥まさか、7年後~この河井さんとは一緒に~西日本で初めて“24時間の介助つきのグループホーム”を建設して行く事は‥河井さんも、僕も~想像もつかなかった。

           ――5――


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# by kan-chan1963 | 2018-06-19 09:04 | Comments(0)

電動車いすに乗って…30年②

1時間ぐらい“ボーリング”をやって~その後スポーツセンターに

20台ぐらいの電動車いすが置いていて、いつも自由に乗れる。

 僕は、さっそく電動車いすに乗った。僕は高等部の時に、電動車いすに

乗れるどうか~テストがあって、訓練の先生が「寺内、これから乗れるように

なるから」と言われた事を思い出した。久しぶりに電動車いすに乗って~(自分の思いままに動けるって‥楽しいなあ)と、その時改めて感じ~〔いつか、電動車いすが欲しい〕と思った。

 3時になって~スポーツセンターの送迎バスで、巡回に家の近くまでに送ってもらう。僕と母も載せてもらって帰った。順番に回って帰って行った。

僕の家は東住吉区矢田の隣の湯里に住む藤井君と一緒に、その藤井君の家の近くで降ろしてもらって‥車いすを押してもらいながら一緒に藤井君の家まで来て‥藤井君のおばちゃんが「家に寄って行く?」と誘ってくれた。

 門構えのある大きい家で、その門から入ると、大きい庭があってその横に縁側があって、そこから上がる。縁側の下にしたにあるリフトに~おばちゃんが

車いすを乗せて‥ボタンを押したら、車いすはそのまま家の中にはいられる。

 母は、車いすから僕を抱えて~普通の椅子に坐らせた。おばちゃんが、台所から「これを飲み!」と言ってビールを持ってきた。母は鞄からストローを出した。それを見ておばちゃんは、「ストローで飲むの?」と、びっくりした顔を しながら言った。びっくりするおばちゃんに、母は「そうよ~ストローで飲むよ!この子は高校生から~」と笑いながら喋った。おばちゃんが「へぃ!

あんた、高校の時から飲んでいるの?」と僕に聞いた。そんな事をして盛り上がりながら~だんだんと母もおばちゃんも藤井君も僕も‥お互いに仲良くなっていた。

 飲みながら1時間ぐらい話して‥帰った。帰りながら~母は、「これからも雑草の家に行く?」と、僕に聞いて来た。僕は‥(あのおばちゃんたちの雰囲気なら、楽しくやれるかな?~とりあえず行ってみようか!)と思った。

母も、(雑草の家なら他の親と一緒にやれそうかな?)と思ったらしい。それから雑草の家まで~母と歩いて40分かかる道のりが始まった。それと同時に~僕の人生を大きく変える一つのきっかけになって行った。

               ――3――

 


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# by kan-chan1963 | 2018-06-16 10:37 | Comments(0)

かかわり…

<かかわり…>

 2ヶ月ほど前に‥天王寺にある“立ち飲み屋”で、その店の店長に「他のお客さんが来るから早く帰ってください」とと、僕だけに言われた。その時は、店長の言われたまま帰った。

あとで、考えたら…(これって~障害者差別につながるかな!?)とふっと思い、一週間経って‥大阪府庁の“障害者差別解消”の担当する窓口に行って‥担当者に、状況を説明して~

相談したところ…担当者が、さっそく“立ち飲み屋”の本社に行ってくれて~話してもらった。

 社長から「障害について徹底した社員教育していきたい」と言ってくれた。僕に対して謝罪文があった。

 そういう連絡が担当者からあって‥僕は府庁へ行って、又担当者と会った。担当者から

今までの経過説明があり、「これからも来てほしいし、その時ちゃんと対応させて頂きます。」と本社から言われたそうです。そんな話の中で‥「会社は、障害をもつお客様に対してどこまでサポートしたらいいかわからない?」と担当者に聞いたらしくて…その時僕が感じて担当者に言うたのは‥「障害者本人が必要なサポートをちゃんと言っていくべきだ」と言ったら…担当者も同感しながらいろんな話していく中で‥「人は、障害者の事はまだまだわかっていないし、やはり関わっていく中で理解が生まれるはず」とか、「そうしないと…法律ができて生かされない~関わりが…障害者差別解消法が生きてくるはず」と話したり、又

「法律や制度が出来ても‥差別はなくならないし、それよりもどんどんとかかわる事で

障害者の事がわかるなかで差別などかなくなるはす」と担当者と話した。

話が終わって帰る時…僕は(障害者がもっと行動しながら関わっていく事がとても大事だ)と、又それと同時に‥(障害者差別解消法ができても…安心ができない)と…僕は今回差別的な事を受けながら~改めて感じた。


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# by kan-chan1963 | 2018-06-15 22:35 | Comments(0)

電動車いすに乗って…30年!

電動車いすのハンドルを握って30年!

   第一章…卒業後~地域の作業後へ

1、『母と歩いて40分!』

 初めまして~僕は、かんちゃんです。〔ニックネーム〕本当の名前は

寺内隆(てらうち・たかし)です。昭和38年(1963年)生まれです。

50歳です。世間一般では“おっちゃん”と呼ばれる存在になりました。

 自分は、若いつまりで‥頭の中は、小学校の低学年の知識しかない僕なの

です。そんな僕の話を聞いてもらえば~嬉しいです。

 僕は、昭和58年(1983年)に大阪府堺にある支援学校(養護学校)の

高等部を卒業した。僕が高等部に入学した年~“養護学校義務化”が始まった

年で‥僕も含めて“最重度障害”と呼ばれる生徒たちが42名入って来た。

“最重度”と呼ばれる友達と3年間学校生活をおくりました。

僕も“最重度障害”で‥卒業後は、就職もできない、大学も入学のできない、

どこも行く所がなく~在宅生活しかなかった時代でした。

 僕は、在宅生活を送るよりも‥〔自分で身の周りが出来るようになりたい〕と思って施設に入ろうと思ったけど‥親に大反対されて結局残念した。

 行く所が決まらずに卒業した。僕は、(これからの先の不安)を抱えながら‥

卒業して1ヶ月経ち~暖かくなった5月頃、母親が「隆、作業所へ見学に行く?

」と隆に言った。隆は「作業所って~どこにある?」と、母に聞いた。

母は、「父母の会のやっている雑草の家よ」と言いながら“父母の会だより”の

機関誌を見せてくれた。隆は機関誌を読んで‥“最重度障害者の生きがいづくり場雑草の家”の書いた内容だった。僕は、あんまり乗り気がなかった。

 その機関誌をよく読んだら‥“通うのは、週2回だけ火曜と土曜~それも親と一緒に通ってお料理とかおやつ作り等を楽しみながら‥”の所でした。僕に

したら、はっきりと言ったら~〔親と一緒に趣味のようなやる所は〕と‥あんまり乗り気がなかった。

          ―1

想像していたどうり~在宅生活を送る中で、僕は何もやる事もない中で本を読むしかなかった毎日。僕は(これからの先はどうなるのかな?)と、ますます

不安になってくるし、そんな僕を見て母親も不安になってお互いにイライラして口げんかになる事が増えてきた、母親は、家で内職で…“電気の部品”を袋

づめをやってて‥簡単に作業だったので、母のやっている作業を見て、僕は母に「僕もやる」と言ってみた。母は「やってみる?手の訓練になるし…」と言ってくれた。

 一つ袋づめをして3円をもらえる。僕は一つ袋の中に部品を10分かかる、

母は、10分の間に100個を袋に入れる。それでも僕は作業を続ける。

でも僕は、ちょっと仕事をしているような気持ちになる。この気持ちが…後の

僕の“自立に繋がっていく”になる事は、この時は想像も発想もつかなかった

そんな毎日を送る中で、僕はふっと母に言われた(雑草の家に一回いこう)と思い始めた。その事を母親に話をした。母も「一度言ってみる?」と言って、

“雑草の家”の代表の児島さん電話をしてくれた。児島さんは、僕は中学校時代の時、“東住吉区父母の会を作るので‥父母の会に入って下さい”と話をしに

来てくれた事があった。それ以来会っていなかった児島さんが‥僕の事を覚えてくれて~「是非、一回来てください。」と言ってくれた。
 “雑草の家”は、月に一回~大阪市にある“障害者スポーツセンター”に行って、スポーツをしたりみんなで食事をしたりして~楽しく過ごすという企画

だった。

 みんなのスポーツセンターに行く日に‥初めて僕もスポーツセンターに行って“雑草の家”のメンバーと会う。その日は暖かく~スポーツセンターまで母に車いすを押してもらっていきました。40分かけて…。

 センターに着いて、2階にあるレストランに行くと‥メンバーと親15名ぐらい集まっていた。母は、児島さん達を見て~「こんにちは、これからヨロクお願いします」と挨拶した。児島さんは、僕と母を見ながら「寺内君、よろしくお願いしますね」と挨拶してくれた。児島さん達と一緒に‥テープルに座って食事をした。昼からは…“ポーリング”や“卓珠”や“水泳”など~それぞれに分かれて自分のやりたい“スポーツ”をやる。僕は“ポーリング”をやった。初めて母と一緒~楽しくやった。久しぶりに母も僕も汗をかいていた。

            ―2-
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# by kan-chan1963 | 2018-06-14 20:17 | Comments(0)

30年ぶりの!40度の近いの熱が…

その➂―30年ぶりの!40度の近いの熱が…―

 かんちゃんです

 55歳になつて…40度のちかい熱が~なんと!30年ぶり出てしまった~(僕の記憶の中やけど…) 先週土曜の昼から体がしんどくなり、背中熱もこもりだして僕は、一人で寝る事が出来ないので…介助者が夕方に来るまで昼間、車いすに座ったままで~“しんどい!つらい!”頭がぐらぐらしてきた。

 夕方になると…介助者が来て、熱を測ってくれた。測ったら‥なんと!~39度があって、

とりあえず介助者に寝かしてくれた。夜も‥39度の熱のまま続く…

 日曜~昼間、介助者はいないし‥とりあえず介助者に来てもらうように頼んだ。昼頃来てくれて~介助者が来てくれて‥「これ!飲んで!~」と、私販の“熱さまし”の薬を買ってくれて‥薬を飲んで寝た!夕方になって‥下がって、ようやく39度になった。2時間後再び熱が上がって‥。

 身体中暑くて、夜中なかなか寝られなかったし、お腹も調子が悪くトイレ二回行った。

朝になっても‥39度の熱がつづいた。医者に行く事を決心した。通う作業所の近く医者にいって、血液検査してもらい~熱さましの薬をもらい、飲んで作業所で寝ていた。

作業所のみんなが心配し親切してくれた。感謝する気持ちと同時に‥“たまにこんな事もあって悪くないなあ!”と思いながら…。薬が効き始め、ようやく熱が下がった。みんなも喜んでくれた。

 あくる日、熱もいつもの36度まで下がり喜んでいたところ~朝突然医者から連絡があり

「大きな病院へ行ってくれ~“たんのえん”の疑いがあるので‥」と言われた。早速介助者と一緒に‥近くにかかりつけの病院に行き、調べてくれた。

 二時間ばかりかかった検査が終わり…医師のいる診察室に入った。しいは不思議そうな

顔で,僕の取ったレントゲンをみていた。医師は、僕に「腰は痛くない?」とかいろいろ聞いて来た。僕は。「痛くない」と答えた。

 答えた僕に「おかしい!?レントゲンを見ると、何も写っていないのに…」と医師は首を

かしげていた。

 横にいる介助者が…「あんた…飲みすぎるとちがう!?」と、僕に言った。「お酒ですか!

?」と医師も‥看護師も‥驚いた。医師達は~(まさか、障害者が酒とか飲む)のイメージが

なかった。

 医師は‥笑いながら「これからは‥飲みすぎ注意してね!?」と言われた。

 でも…障害者は、熱を出したら~大変!介助者の時間ない時は車いすに乗ったまま…

介助者を探して来てもらうも~一苦労!障害者屋は‥僕にとって生涯の仕事だけに~

しょうがいないね!!
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# by kan-chan1963 | 2018-06-09 09:55 | Comments(0)

~電車ごっこ~

≪電車ごっこ!≫

 次は‥“トウールカラーズ駅です!”

 忘れ物など~ないように…

 いつも電動電車を利用していただき

 ありがとうございます。

 ホームは、見ているよ

 走れ~走れ!

夢と希望を乗せて‥

かんちゃん号は

今日も走りつづけるよ。


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# by kan-chan1963 | 2018-05-29 14:18 | Comments(1)

~電車ごっこ~

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# by kan-chan1963 | 2018-05-29 13:57 | Comments(0)

生きてて…正解!②


【生きてて…正解!】

 55年間生きてて…正解!    身体も言葉も不自由も‥

 手も足も自由に動かない    でも~生きてて正解!

 言葉も自由に出て来ない    僕はそう感じる

 だけど‥楽しく生きて行く   思ったまま…感じたまま…

 これが…僕の人生       言葉として出て来ないけど‥

 支えられ、みんなの中に    “正解!”~たった一言で…

 いる事、生きている事が    伝えられる そして…

 何よりも正解!        みんな みんなが~

 わすが動く一本の指が     笑顔になってくれる瞬間

 すべて語る        生きてて正解!と‥最高に感じる。 


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# by kan-chan1963 | 2018-05-24 13:06 | Comments(0)

生きてて…正解!①

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# by kan-chan1963 | 2018-05-24 12:58 | Comments(0)

~車いすのキャスターが空中に舞い上がる!~

その①―車いすのキャスターが飛ぶ!―

僕は、かんちゃんです。

いつも、電動車いすに乗って動いています。

今日、病院に行こうと思って…たまたま行く病院は、玄関の前に4段があって

電動車いすで行く事ができないので、20年前ぐらい前に作った手動車いすに乗り換えて

介助者に押してもらって行った。

 診察が終わり…車いすの雄ベテランの介助者が、車いすの前輪を上げて~4段の段差を

ゆっくりゆっくりと降りて行った。その時~車いすの前のキャスターが…突然外れて~

舞い上げて~飛んで行った!僕はびっくりした、介助者も驚いていた。

 ありのえない~車いすのキャスターが‥空中に舞い上がる光景を見た僕は…僕の人生みたいなぁと言うと…介助者は「どうして!」と聞いていた。それに、僕は…僕の人生も、

ぐるぐる回転しているよ!


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# by kan-chan1963 | 2018-05-17 12:37 | Comments(0)

まいど! かんちゃんです。波瀾万丈な人生+ポエム・エッセイなどを綴っていきます。


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